西の魔女が死んだ
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作成日時 : 2008/07/10 19:27
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2008年6月21日 公開 上映時間 125分
題名 : 西の魔女が死んだ
原作 : 梨木 香歩
脚本 : 矢沢 由美
監督 : 長崎 俊一
言語 : 日本語
出演者 サチ・パーカー 高橋真悠 りょう 大森南朋 木村祐一 高橋克美
主題歌 「虹」 手蔦葵
<あらすじ>
学校に行かないと決めた主人公のまいが、ママのママであるおばあちゃんの家で、暫くの間暮らす。おばあちゃんと共に過ごす、森に囲まれ自然の恵みに満ち満ちた生活は、まいに「生きる」ということ、その中で大切な事は何かを気付かせていく。
魔女の家系だというおばあちゃん。おばあちゃんの妹は占い師だし、おばあちゃんのおばあちゃんはとても優れた透視の力を持っていたという。まいは自分もおばあちゃんのように魔女になりたいと、魔女修行を始める。
近くにすむゲンジという感じの悪い男の事が、気に入らないまいは、度重なるゲンジの不信な態度にいらだちを募らせていく。けれどおばあちゃんは、どこまでもゲンジに対して大らかな態度を崩さないので、まいは納得できないでいた。その積もり積もった思いが、ついにある事件をきっかけにまいとおばあちゃんの心の距離を作ることになってしまい、まいは仲違いをしたままおばあちゃんと別れてしまう…
「魔女が倒れた。もうダメみたい…」
車でおばあちゃんの家に向かう途中、ママから祖母の訃報を聞かされたまいが、2年前、自分が不登校になった時、おばあちゃんと共に暮らした時間を思い出していく…という回想で構成されている。
主人公のまいが、真っ直ぐにママを見ながら、
「わたし、明日から学校に行かないことにしたから」
という台詞が、とても印象的だ。不登校になる原因は、おそらく色々あるだろう。けれど、まいのように親に真正面から向き合い、はっきりと「明日から学校にはいかないことにした」という子供は、稀ではないだろうか。多くの子供たちは、言い出せずずるずると学校に行き続けて、進退窮まってしまったり、或いは出かけるだけ出かけてブラブラしては家に帰るを繰り返しているうちに、さらに泥沼にはまる羽目になってしまったり、或いはある日プチッと限界が来て、部屋から一歩もでれなくなってしまったり。ママはまいのことを「昔から扱いにくい子だったけど…」とパパに言っているけれど、この台詞を聞いた時、「自分」を大切にすることをちゃんと知っている、とても賢くて強い人だなぁ…と、一瞬にしてまいに惹かれた。
おばあちゃんとの再会で、おばあちゃんは、
「来ましたね。おばあちゃんは、あなたが生まれて来たことを、いつもこころから感謝しているのですよ」
という。そして、
「おばあちゃん、大好き!」
とまいが言う度に、
「I know。」
と言う。なんて素敵な人なんだろう…。どんな時も、包み込み見つめていなければ、こんな台詞は出てこない。
こんな風に言われたら…「私の事、ちゃんと見てくれてるんだ。ちゃんと思ってくれてるんだ。」と心から安心する事だろう。人は、みな、不安や悲しみを抱え、眠れない夜を繰り越す日々が続くことがある。そんな時、「ええ、分かっていますよ。もちろん、知っていますよ。」その一言が、どれだけ重荷を分かつことか。
深い愛情は絶えることなく湧き出る泉のようだ。
太陽の恵み。木々のざわめき。草原の匂い。空の青さ。優しく吹き通る風。それら『自然』は、どんな時もたゆまなく巡り巡って、支え合っている。都会の生活の便利性は知らない間に、人間を、追い立てる生活へと変貌させてしまう。いつしか人々は時間に追われ「生活する」事を忘れてしまい、一人一人が希薄になっていく。思いやりで繋がり合うのではなく、利害で繋がった人々。常に心が渇き、ギスギスしている。
確かにまいは、不登校になった。自らがそう宣告して登校拒否になるのだから、ある意味、健全なのかもしれない。ママもパパもおばあちゃんも「なぜ?」と理由を聞かなかった。そのことについてまいが訪ねた時のおばあちゃんの答えは
「それはね、みんな、まいの事を信じているからですよ。まいがそういうからには、きっとそれなりの理由があるのだろうって、ね。」
この後まいが語る登校拒否の理由。真っ直ぐに生きようとするまいに、胸がいっぱいになった。おばあちゃんの言葉は、いつもどんな時も自分を守ってくれる。
おばあちゃんのアドバイスは、一見目の前の出来事と無関係のように聞こえることがある。けれど、その根底に流れるおばあちゃんの思いは、いつも変わらない。思春期の揺れ動く時期はもちろん、大人になって疲れ果てた心にも、きっとおばあちゃんの『生きる』ことについての魔法は、癒しとなり、支えとなるだろう…。
豊かな自然。おばあちゃんと摘むワイルドベリー。斜面一面に実っているワイルドベリーは、おじいちゃんからおばあちゃんへの愛の証。大きな釜で沢山のお砂糖とワイルドベリーでジャム作り。甘酸っぱいジャムは、毎日の小さな歓びや幸せの詰まったジャムだ。
近所の嫌な男ゲンジの度重なる不信な行為が、子供の頃の強い正義感と重なってまいの心に積もっていく。それをおばあちゃんは諫めるのだが、まいにはまだその意味が分からない。いつもまいの見方のおばあちゃんが、なぜかゲンジとのことに関してだけは、まいに同感してくれない。酷い言葉でおばあちゃんと仲違いしたまま別れてしまったまいは、2年後、自分の過ちに気付く。
溢れる程の愛で、子供を孫を包み続けたおばあちゃん。生きることの意味や大切さ。生活することの大切さや優しさ、楽しさ。現代忘れられてしまった『生きる』ことの意味。誰かの為に生きる。愛と共に生きる。日々を生活する。
いつしかまいと一体になって、おばあちゃんの愛を一身に受けた観客は、ゆったりと流れる魔女との生活の中で、心にかちこちに固まってしまっていたいろいろな思いが緩やかに溶け出して、頬を伝う涙となって流れていることに気がつく… 大人にっていく段階と平行して全ての生きているものの生と死、生きることの意味と『死』とを繋げている目に見えない力強い何か…の存在を感じる、そんな気がした。
主題歌を歌っているのは、『ゲド戦記』でテルーの声を演じた手蔦葵さん。テルーの唄を思い出す。静かに染み渡る手蔦さんの声と歌詞が、ゆったりと流れ行く物語やおばあちゃんの深い愛、まいの真っ直ぐで純粋な心を彩っている。
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